されどもマダイ釣り

 マダイ3キロ頭に9尾

 大瀬戸港和丸(長崎)からイサキの浮き流し釣りで出船。仕掛けを長めにとったせいか、はたまた、釣り座のせいか、私だけにマダイがバンバン釣れたのだった。
 風が強くて移動もままならず大島の島影に隠れるようにしての釣りだった。後に、乗っ込みダイの名所アジソネで船頭に聞いた話と一致する。「ここのタイは、15メートル以上に仕掛けを長くしないと食わないよ」と云った言葉と。

 私はタイ釣りがずっと苦手だった。というよりも敬遠してきた釣りだった。何故かと言うと、行っても大抵釣れないのである。小網代港のやまはち丸(三浦半島)が一時タイ釣りをやっていて、下浦沖に遠征した時だった。隣も、その隣も入れ食いモードに突入していると言うのに、私だけが蚊帳の外。その時は二度とタイ釣りはやらないと思ったものだ。この頃は、東京湾の中が何故かタイ釣りで賑わっていた。やまはち丸がホームグランドにしているあの広い相模湾にはタイのポイントもたくさんありそうなのにと思ったが、そうでもないらしかった。確かに、東京湾内には鴨居沖、竹岡沖、久里浜沖、下浦沖とタイ釣りの好ポイントが点々と続く。

 最初のタイ釣りは鴨居の二時丸から仕立てで出た。その頃、私は週刊つりニュースのかけだしのAPCで、紙面に自分の名前が載るのが嬉しかったにちがいない。釣ることと書くことに随分とのめり込むことになる。この日は、客一人と船頭一人の大名釣り。しがないサラリーマンだったから金に余裕があったわけではなかった。それも、まだ30代の若造だったから、分不相応な釣りだった。

 出がけに、同じ船宿で報知APCの野口清さんを見かけた。野口さんは週刊釣りニュースのAPCでもあった。大先輩である。固くなって挨拶をした記憶がある。江戸前の釣りでは野口さんの右に出るAPCはいなかった。その後、10年、20年とAPCをやっていて、野口さんとは随分と親しくさせてもらった。片親が私と同郷だったという縁もあった。年賀状のお返しにご家族の方から葉書を頂いて亡くなったことをはじめて知った。随分昔の話である。

 さて、二時丸でのタイ釣りだが、私はボウズ、船頭が1キロ前後のタイを一尾上げただけの惨憺たる結果だった。さらに、悪いことに、竿を船べりに立てかけて船頭が釣り上げたタイの写真を撮っていたら、竿が海中に引きずり込まれてしまったのである。鴨居はタイのテンヤ釣りで昔から有名だった。この釣りは、向こう合わせのコマセ釣りと違って結構難しい釣りだ。エサ付け、タナ取り、シャクリ、取り込みと、一連の習熟が要る。ど素人に釣れるわけがないのである。

 最初にタイらしいタイを釣ったのは城ケ島沖のイサキ場でだった。イサキを釣っていてぶつぶつと仕掛けが切られることが何度もあった。そこで釣れたばかりの活きたシコイワシを餌に落とし込むと、これが的中し、良型のマダイが釣れたのである。これは2キロ近くあったはずだ。このころになると、釣りの腕もかなり上がっていたようだ。ただ、工夫のない力任せの釣りは、その後も変わることがなかった。仕事が技術職で、常に工夫を強いられていたから、趣味の世界までそれを持ち込みたくなかったのだ.

2022年12月22日